「お金がなくても幸せ」はウソ

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「お金なんかいらない」と言う方に時折お会いすることがあります。実は以前

の私も実際にそうでして、「お金で幸せは買えない!」とか、もしくは「貧し

くても心が豊かであれば⋯⋯」なんて本気で思っていた時代もありました。

しかし、2011年3月11日の震災のとき、私はどれだけお金が欲しいと

思ったことでしょう⋯⋯。祖父宅は被災地でしたから、祖父宅に行ったとき、変わり果てた土地を目に当たりにして、足の震えが止まりませんでし

た。全部メチャメチャになってしまったのです。

もっともっとお金が欲しい、と強く思いました。

 

お金がたくさんあれば、必要な人に廻してあげることもできますし、未だに

整備されていない道路も直せます。

自分にできることなんてわずかにしか思えず、「お金なんてなくても幸せよ

ね〜」などの考えは、1ミクロンもなくなりました。

私は長い間、聖書を愛読していたのですが、「金銭に対する愛は悪の根な

り」と書いてありました。これはそれぞれの理解によるのかもしれませんが、

多くの人は、やはり富は身を滅ぼす、と捉えているような気がします。

しかし、それが真の解釈ではないのです。そうではなく、お金に対する執着

が悪いと言っているのです。

また日本語には「倹約」とか「清貧」という言葉があり、それを美徳とする

人も多くいます。謙遜の文化を持つ日本人的にはウケがいいのかもしれません

が、しかしながら、本当に「倹約」や「清貧」を謳う人すべてが、貧しさを自

ら求めているとは到底思えません。

清貧という言葉をインターネットで調べると、すぐに出てくるのが、「私欲

すてて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること」(デジタル大辞泉より引用)です。

じっくり読むと、よく意味がわかりません。私欲をすてて⋯⋯の意味は理解

さますが、正しい行いをすることと、貧しい生活、質素な生活がじ

くのか? 逆に豊かさと強欲は結びつけられた言葉なのでしょうか?

たとえば自分のポリシーとして、「倹約」や「清貧」の精神で慎ましく生き

ることを目指すならそれもいいと思います。ですが、そこでお金のことを悪く

言い、お金が諸悪の根源だと言い張るならば、話が違ってくるような気がしま

す。

潜在的に誰もが皆、規模は違えど、豊かさを求めているのは事実です。

豊かさは、「与える精神」を生みます。幸福を生み、みんなを笑顔にしてくれます。

 

かといって、常に豪華な食事をしていることが幸せだとも私は思いません。

豪華な食事をおいしい、と心から感じるのは、ふだん質素なご飯を食べている

から。いつもいつも豪華な食事をしている人は、特別にそれがすごくおいしい

とも、豪華だとも感じないことでしょう。

段の生活は質素でも、時折食べる豪華な食事は本当にありがたくて幸せな気分にもなり、おなかが満たされるだけでなく、心まで満たされそしてそれは、「お母さんにも食べさせてあげたいな」か、「〇〇ちゃんに

も食べさせてあげたいな」とか、お子さんがいらっしゃる方なら、「子どもた

ちにも⋯⋯」と思うことに繋がってくるのではないでしょうか?

つまり、お金はいりません、というのは、視点を変えれば、自分さえ満たさ

れていればいいんだ、というふうにもとれるわけです。

「お金がなくても幸せ」という考えは、自分以外の誰かを満たしてあげたいと

思う気持ちや、人を助けたい、誰かに何かしてあげたい、という気持ちが欠けているのです。

 

豊かさというのは、伝染して広がっていくものです。お金があるおかげで、

私たちはおいしいものを食べることができ、好きなものを身に着けることもで

き、そして、誰かのためにそれを使うこともできるのです。

ですから、豊かになりたい、という気持ちを抑えないでください。

あなたが心の底から豊かさを求め、その気持ちどおりの行動をするときに、

現実はあとからちゃんとついてくるのですから。

ここまでのところで、お金の引き寄せ方についてお話ししてきました。

畑で言えば、土壌を耕す部分です。どんなに品種のいい種でも土

壌が一番大切です。

豊かになりたい気持ちを抑えずに、

「豊かになる!」と決意する。

 

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