お金に対する「思い込み」を知る
お金は自分の内面を知るのにとても有効なツールとなります。
お金に対する自分の思い込みをちょっと覗いてみるだけで、生き方や、セル
フイメージや、人との付き合い方など、いろいろとわかるおもしろいツールに
なります。
お金に対する思い込みを簡単に知る質問はこうです。
私にとってお金とは⋯⋯である
お金は⋯⋯なもの
お金をたくさん持っている人は⋯⋯である
お金持ちは⋯⋯である
私はたくさんお金を持つと⋯⋯
「⋯⋯」のなかにあなたが思う言葉を入れてください。上の質問一つひとつに
対して思いつく限り書いてみると、あなたがお金に対してどんな思い込みを
持っているか、知ることができます。
マイナスな言葉が多ければ、それを最終的にはプラスの思い込みに変えてあげればいいだけなのです。
思い込みを変えるのはさほど難しくありません。思い込みを変える手法はた
くさんあるのです。以降の項目で扱いますので、しっかり取り組んでみてくだ
さい。
マイナスをプラスにするのは意外とカンタン。
どんどんお金の話を口に出す
多くの人は、「人様の前でお金の話をするものではありません。はしたないから」と教えられて育ってきたことと思います。
て、これこそが根深いお金のメンタルブロックをつくる原因に
る、ということに気づいていません。
たとえば、あなたに相思相愛な人がいたとしたら、その人のことを話題にし
たい、とかその人のことをずっと考えていたい、と思うのは自然なことではな
いでしょうか?
あなたに愛されていると知るその人もまた、あなたのことをもっともっと愛
するようになることでしょう。
お金も同じ。
お金の話をして居心地が悪いとか、なんだか心がザワザワするとか、お金を話題とし
てしてあげるのは、はしたないような気がする、というのは、実はお金を
本当の意味では愛していないのです。
愛していないものを引き寄せることはできません。
好きな人の話をしたら、ワクワクするのが普通ですよね?
ワクワクもうれしさも感じないのなら、それは好きでない証拠なのです。実
にシンプル。
プロローグでも申し上げましたが、お金持ちや成功者は、お金の話をするの
感躇しません。だからこそお金を生み出すビジネスの話も大好きで
も、お金を生むシステムづくりやお金の流れをつくるアイディアも
どん湧いて出てくるほうなので、お金の話やビジネスの話をするのです。
そして、たいてい、そのような話をするときには強いワクワク感があって、
そう思ったときには、そのビジネスは成功し、さらなるお金が入ってくること
が多いのです。
ワクワクしたときお金は入ってくる。
「お金がなくても幸せ」はウソ
「お金なんかいらない」と言う方に時折お会いすることがあります。実は以前
の私も実際にそうでして、「お金で幸せは買えない!」とか、もしくは「貧し
くても心が豊かであれば⋯⋯」なんて本気で思っていた時代もありました。
しかし、2011年3月11日の震災のとき、私はどれだけお金が欲しいと
思ったことでしょう⋯⋯。祖父宅は被災地でしたから、祖父宅に行ったとき、変わり果てた土地を目に当たりにして、足の震えが止まりませんでし
た。全部メチャメチャになってしまったのです。
もっともっとお金が欲しい、と強く思いました。
お金がたくさんあれば、必要な人に廻してあげることもできますし、未だに
整備されていない道路も直せます。
自分にできることなんてわずかにしか思えず、「お金なんてなくても幸せよ
ね〜」などの考えは、1ミクロンもなくなりました。
私は長い間、聖書を愛読していたのですが、「金銭に対する愛は悪の根な
り」と書いてありました。これはそれぞれの理解によるのかもしれませんが、
多くの人は、やはり富は身を滅ぼす、と捉えているような気がします。
しかし、それが真の解釈ではないのです。そうではなく、お金に対する執着
が悪いと言っているのです。
また日本語には「倹約」とか「清貧」という言葉があり、それを美徳とする
人も多くいます。謙遜の文化を持つ日本人的にはウケがいいのかもしれません
が、しかしながら、本当に「倹約」や「清貧」を謳う人すべてが、貧しさを自
ら求めているとは到底思えません。
清貧という言葉をインターネットで調べると、すぐに出てくるのが、「私欲
すてて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること」(デジタル大辞泉より引用)です。
じっくり読むと、よく意味がわかりません。私欲をすてて⋯⋯の意味は理解
さますが、正しい行いをすることと、貧しい生活、質素な生活がじ
くのか? 逆に豊かさと強欲は結びつけられた言葉なのでしょうか?
たとえば自分のポリシーとして、「倹約」や「清貧」の精神で慎ましく生き
ることを目指すならそれもいいと思います。ですが、そこでお金のことを悪く
言い、お金が諸悪の根源だと言い張るならば、話が違ってくるような気がしま
す。
潜在的に誰もが皆、規模は違えど、豊かさを求めているのは事実です。
豊かさは、「与える精神」を生みます。幸福を生み、みんなを笑顔にしてくれます。
かといって、常に豪華な食事をしていることが幸せだとも私は思いません。
豪華な食事をおいしい、と心から感じるのは、ふだん質素なご飯を食べている
から。いつもいつも豪華な食事をしている人は、特別にそれがすごくおいしい
とも、豪華だとも感じないことでしょう。
段の生活は質素でも、時折食べる豪華な食事は本当にありがたくて幸せな気分にもなり、おなかが満たされるだけでなく、心まで満たされそしてそれは、「お母さんにも食べさせてあげたいな」か、「〇〇ちゃんに
も食べさせてあげたいな」とか、お子さんがいらっしゃる方なら、「子どもた
ちにも⋯⋯」と思うことに繋がってくるのではないでしょうか?
つまり、お金はいりません、というのは、視点を変えれば、自分さえ満たさ
れていればいいんだ、というふうにもとれるわけです。
「お金がなくても幸せ」という考えは、自分以外の誰かを満たしてあげたいと
思う気持ちや、人を助けたい、誰かに何かしてあげたい、という気持ちが欠けているのです。
豊かさというのは、伝染して広がっていくものです。お金があるおかげで、
私たちはおいしいものを食べることができ、好きなものを身に着けることもで
き、そして、誰かのためにそれを使うこともできるのです。
ですから、豊かになりたい、という気持ちを抑えないでください。
あなたが心の底から豊かさを求め、その気持ちどおりの行動をするときに、
現実はあとからちゃんとついてくるのですから。
ここまでのところで、お金の引き寄せ方についてお話ししてきました。
畑で言えば、土壌を耕す部分です。どんなに品種のいい種でも土
壌が一番大切です。
豊かになりたい気持ちを抑えずに、
「豊かになる!」と決意する。
☆ 感謝の気持ちさえあれば お金持ちになれる、は間違い
さて、この項目は、とても大事なので、じっくり読んでくださいね。
さきほど、感謝の気持ちは「ある」を引き寄せる、ということについて書きました。
しかし、実は感謝の気持ちだけではお金持ちにはなれません。
ここで私の経験を一つご紹介しましょう。
長年の間、なぜ私は感謝の気持ちがあるのに貧乏だったのか?その疑問にお答えします。
もしかしたら、ここにあなたがお金に関して空回りしている原因があるかも
しれません。
私は昔から、感謝の気持ちは厚いほうでした。月10万円で暮らしていた20代の極貧時代の頃から、得られているものや置かれた環境に対して、こみ上げるほど感謝の気持ちがありました。
ですから、もちろん幸せではあったのですが、それでも私は貧乏でした。なぜだと思いますか?
それは、アクセルとブレーキを同時に踏んでいたからです。
感謝の気持ちは、車で言えばアクセルなのです。
アクセルは毎日踏んでいるので、お金の豊かさという方向に向かうはずなのです。
しかし、実際は豊かさに向かわず止まっていました。
それは、ブレーキも一緒に踏んでいたからです。
車を運転したことがある方なら経験があると思うのですが、ブレーキを踏んだままアクセルを踏むとどうなるでしょうか? 車は進もうとして揺れます。
いし、ブレーキがかかっているので、エンジン音だけあがり、前に車は揺れている。
そんな状態です。
このように、感謝の気持ちが厚い人で、お金が欲しい、と言いながらカツカツの状態が続いている場合は、ブレーキも一緒に踏んでいるのです。
さて、そのブレーキとは何でしょうか?
それは、お金にまつわる「恐れ」と「不安」、そしてお金に対してのマイナ
スの意味付けです。
たとえば、老後が不安だからお金をちゃんと貯めておかなきゃ、と思う気持は、一見前向きで計画的なイメージがありますが、動機は「恐れ安」です。
お金が欲しいと思う動機が、不安をなくしたい、という問題回避である場合は、お金の巡りはよくなりません。
「老後に、旅行にガンガン行くために、貯めよーっと!」
というワクワクな貯金とは、動機がまったく違うのです。
何があるかわからないから今のうちに貯めておこう、とか、将来年金がもらえなくなるのが怖いからなんとかしなきゃ⋯⋯という想いが、ブレーキにあたるのです。
そしてその考えは、そのまま「何があるかわからない」の「何か」を実現させてしまうのです。
当時の私は、感謝の気持ちはあったのですが、「恐れ」と「不安」、「今あるもので十分」「それ以上求めることは強欲!」という思い込みを持っていたので、貧乏のままだったのです。
それらの思い込みの方が強く、そちらのほうが現実化してしまったのです。
お金に関しては、ちゃんと収支をおさえておかねばなりませんが、必要以上の不安や恐れを抱かないことです。
「なんとかなる!」の精神が大切なのです。
私の仕事はある意味、水物です。つまり、将来の確約が何もないのです。
人気がなくなれば収入は激減しますし、私自身が商品なので、私に何かあったら、もうおしまいです。
つまり、ある意味私は常に、崖っぷち状態なのです。
しかし、こうも思うのです。
私は、若い頃は寒さに凍えながらガソリンスタンドで働いたこともありましたし、早朝3時に起きて、お弁当屋さんで働いたこともあります。
クリーニング屋さんの店番も経験がありますし、暑さ寒さの中、掃除会社のマットやモップの交換の仕事や、オフィスビルでの飛び込み営業をやったこともあります。
そう考えると、たとえ今、私の会社がなくなっても、仕事を選ばずまたアルバイトからはじめればいいやと、とても楽観的に思えます。
仕事がなくなったくらいで死にはしませんから、バイトをしながら実家に戻って畑仕事をやってもいいかな、と思うのです。
そんな心づもりがありますので、将来についてはまったく心配していません。
地球の裏側で、1日1食しか食べられない人を思えば、自分が感じている不自由さなど、なんでもないことですよね。
他国に比べ衣食住の不安が少ない先進国の日本に生まれたこと自体が、もう既に十分あなたは「運」がいいとも言えるのです。
不安と恐れから解放されるために、今あるものにフォーカスすること。
そして、なんとでもなる!と思ってみてください。
必要以上に将来を不安に思わない。
☆ 感謝は「ある」、執着は「ない」を引き寄せる
いいものを引き寄せるためには「感謝の気持ち」を持つ必要があります。
とはいうものの、具体的なイメージはなかなかつきにくいかもしれません。
感謝の気持ちがあると、どうして引き寄せやすくなるのでしょうか?
感謝というのは、今の自分には「ある」とか「持っている」ということを、自分が認識しているからこそ湧き出る感情といえます。
つまり、自分が「持っている」という感覚がないと、それは、感謝というよりも"執着"という形であらわれてきます。
その"渇望"や"執着"は実際に「ある」ものが見えない、もしくは「持っている」ものに気づかないゆえに常に他の何かを求める状態。
そんな状態では感謝の気持ちが湧きません。
感謝の気持ちが湧き出てこないということは、自分の心も思考も行動全体も「自分には必要なものがない」と信じている状態です。
たとえば、
幸せになりたい」と思う人は、今幸せではないのです。
本当に幸せな人は、幸せになりたいと思わないからで、つまり「お金が欲しい」と思う人は、「お金がない」と感じているのです
執着は、自分は「ない」とか「持っていない」ことを潜在意識にインプットしてしまいます。
ですから、欲しいものにあまりにも執着すると、手に入らない、というのが自然の法則なのです。
逆に、感謝の気持ちをいつも持っている人は、今実際に「ある」ことや「持っている」ということを理解している人なので、その心の豊かさはさらなる豊かさを引き寄せます。
これがますます豊かになっていく仕組みなのです。
実際私の周りにいる感謝の気持ちが厚い人たちは、自分のものを与える精神が豊かで、そういう方々は、お金に、または物質に事欠くことがありません。
いつも、いろんなところからいろんなタイミングで与えられて、さらにそれを他の人にも廻しています。
でも、もし、自分には「ない」と思っていたら、出し惜しみしてしまい、周りの人々に与えることを控えてしまうかもしれません。
いつも自分にはすべてが「ある」「持っている」と思うと、どんどん惜しみく周りにも与えられます。
それゆえ、いろんなものが豊かに与えられるをします。
では、あなたが今「持っているもの」は何ですか?
あなたは今、何が「ある」でしょうか?
「感謝の気持ち」がある人はあらゆるものが豊かに入ってくる。
☆お金に負の感情を乗せない
お金の動きというのはシンプルなもので、「出る」と「入る」、この二つしか
ありません。
お金が自分の元にやってきたときには、「やったー!やっと給料日〜!長かったーー!」と喜ばれる方がほとんどのことでしょう。
一方で、その日からお金を遣うたびに、なんとなくため息。
「はぁ〜、また出ていった」
「もう、こんなに遣ってしまった⋯⋯」
つまり、お金が入ってきたときには喜び、出ていったときには嘆く―ーあなたももしかしたら、そのパターンに陥っていませんか?
もし、そういう状態なら危険です。
「貧乏サイクル」が固定化されていきます。
大切なのはお金に対して安定した感情を持つこと。
入ってきたときには、"感謝と喜び"。
遣うとき(出ていくとき)にも"感謝と喜び"。
「負の感情」を絶対に乗せないことです。
そもそもお金を頂戴できる、というのはありがたいこと。
そして、それを遣えることもまた、ありがたいことですから、出してあげる
ことも、喜びなのです。
何かを自分のために買ったときも、「あ〜あ、買っちゃった⋯⋯」という後悔をしたり、お金を遣ってしまったことへの罪悪感を乗せてお金を支払うと、せっかく自分の喜びのために買ったのに、その喜びがチャラになってしまいます。
買い物をした後に、罪悪感を持たれる方は結構いらっしゃるようですが、お金を送り出した後に、罪悪感は決して持たないでください。
罪悪感は、「お金のパイプ」が繋がるのを邪魔しているくせ者なのです。
買い物をしたときに支払ったお金もまた、自分の喜びになっている、さらには、そこの店員さんのお給料になるし、それをつくってくれた人、配送してくれた人、その商品がみんなの手に届くまでに関わったすべての人の喜びに自分が貢献したんだ、という「プラスの感情」を自然に持てるようになること。
ここは想像力が必要です。
入ってくるときよりも、出すときのほうが喜びであることを認識するだけで、お金の流れががラッ!と変わるのも体感できるはず。
お金とは、まるで意志があるかのような動きをするのです。本当に。
そして、お金が入ってきたことに関してもう一つ。
よく、お金をもらっておきながら、その相手に文句を言う場合があります。
「給料が少ない」などはその典型。本人は人間に向かって言っているつもりかもしれませんが、お金はまるで自分に言われたかのような動きをします。
私の知人でこんな男性がいました。
彼は小さな会社に勤めていましたが、その人はお金がなくて社長に50万円ほど借金したそうです。
社長は、口も悪く、従業員にきつく当たる人でしたが、実は大変に情の厚い人で、50万円をその男性に貸してくれたのです。
その男性は社長のことが大嫌いでしたが、借金があるので、耐えながらもそこで働いて
いました。
あるとき、その男性は、とある得意先で、自分の社長の悪口を言ったそうです。
「社長は態度がデカくて人使いが荒くて頭にくる!」と。
その話を聞いていた人は年長者だったので、彼にこう言いました。
「頭にくるかもしれねぇけどな、お金をもらっている限り、そのお金をくれる相手に悪口言っちゃあいけねぇ。
こんな時代に毎月給料をもらえるってな、ありがてぇことなんだよ」と諭したそうです。
結局、この男性は50万円借りた恩を恩とも思わず、返済しおわってすぐに、社長に暴言を吐いて会社を辞めてしまいました。
たいていの場合、こういう人が豊かになることはありません。
今でもこの男性の家族は夫婦共に苦労して働き、毎月「お金がない」と言っているそうです。
お金をもらったときに、「負の感情」で受けとってしまうと、それが癖になります。
ありがたいという気持ちの前に、「あーあ、これっぽっちか⋯⋯」と〜、こんな少ないお金でまた1か月暮らすのか⋯⋯」とか「今月もこんなに支払いか〜」と思っていたら、それは無意識のうちにお金にそのまま負のエネルギーを乗せてしまうのです。
それでは金運はいつまでも上がりません。
お金は私たちに豊かさと喜びをもたらしてくれるものですから、すべていい感情を乗せていくようにしましょう。
全部感謝と喜び。遣うときには特に喜びです。
お金に対しては、常に物わかりのいい、優しい親のようであってください。
旅をしたがる子どもにたくさんのいい経験をさせてあげたいと思い、優しく喜んで送り出してあげてください。
そして戻ってきたときにも、心から喜んで迎えてあげる。
そんなイメージが大切です。
もらうときも出すときも
「はぁ⋯⋯」「もう⋯⋯」は今日から言わない。
☆自然の法則は「出して」から「入る」
「お金が欲しい」、「お金持ちになりたい」と思うと、お金を遣わずに貯めようと考える人がいますが、お金が欲しいと思ったら、先に送り出さなくてはいけません。
ここはとても重要!
"出す"と"入る"は、自然の摂理です。
入るから出すのではなく、出すから入るのです。
すべての流れは、この順番です。
呼吸も、吸ってから吐くのではなく、吐き切って出してから、新しい空気で満たすのです。
そのほうがエネルギーが満たされるからです。
「出すから入る」。これこそが「お金の法則」でもあります。
たとえば、情報もそうです。
アウトプットするからインプットしたくなるのです。
なんらかの情報の発信者は常にインプットしていますが、それは自分の情報を先に出しているから、新しい情報が引き寄せられてくるのです。
そして、"出すから入る"の原理は、物質に関しても言えます。
新しいものが欲しいと思っていても、古いものばかり数多くあると、新しいものは入ってきません。
お金の流れを自分のところで止めようとする行為は、吸った息を止めているのと同じで、これ以上息を吸えなくなってしまいます。
ちなみに、利他的な目的のために出したお金は、同じ金額ではなく、何倍にもなって戻ってきます。
これはたとえば、募金や寄付などです。
募金や寄付⋯⋯こんな不景気な時代に?と思われる方もいるし、「こっちが寄付して欲しいくらいよ!」と本当に言葉に出して言う人もいます。
でもそのような人というのは、たいていの場合、100円200円は無駄に遣っているものです。
寄付するお金がないと言う割には、お腹がすいているわけでもないのに、チョコレートをムダに食べたりするお金の余裕はあったりするものです。
また、利他的に出す以外にも、自分を満たすためにお金を遣っても法則は有効です。
自分の心を満たすためにお金を出し、その対価としてサービスやものを受けとる、というのも"出す"行為に入ります。
あなたが送り出したお金は、誰かの喜びのために遣われて、またお金たちは世界中を旅して、快く送り出してくれたあなたの元に帰ってくることになるのです。
一方で、貯めようとするお金ほど貯まらないものはありません。
貯めることにエネルギーを遣うよりは、稼ぐほうにエネルギーを遣ったほうが遥かにお金は貯まっていきます。
ただし、一つ注意点があります。
出すと入るの法則をかん違いして、浪費してばかりいるのはお金を遠ざける行為です。
遣うときには感謝の気持ちを持って、「出すから入る」という「お金の法則」に従ってお金を扱っていれば、いつの間にか貯まっている、または思いもよらない方法でお金が入ってくるのを経験することになるでしょう。
貯めようとするほどお金は貯まらない。